富野由悠季のアニメ作品を語る「戦闘メカ ザブングル」(ネタバレ注意)

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舞台となるのは「惑星ゾラ」と呼ばれるかつての地球。

その荒涼とした大地が広がる世界で、たくましく生きる市民階級の「シビリアン」とドームで覆われた街に住む支配階級の「イノセント」の関係性を軸に物語は進んでいく。

この物語の中でドームで覆われた街に住むイノセントは、外に出ると死んでしまうという設定で、イノセント側にしてみるとドーム外の空気は汚染されていてとても住める環境にはないというらしい。

富野由悠季のアニメでは度々、“汚染された地球“という設定が為される。機動戦士ガンダムや伝説巨人イデオン、キングゲイナーに先程公開されたGのレコンギスタ。

人間のエゴと私利私慾が生み出す政治とその中で生きる人間、そして受け入れ難い状況が迫る中でも成長して生きていく少年少女が青春を生き、大人になっていく様を描いている。

ザブングルはブルーストーンという青い鉱石が通貨的な役割を持ち、どんな罪を犯しても3日逃げ切れば無罪という「三日の掟」のもと、交易商人、ブルーストーンを発掘するロックマン、商人に雇われる用心棒のブレーカーといったシビリアン達が「サバイバル」のために本能むき出しに行動し、強いもの、優れたものが勝ち残っていく世界が示された。

 

物語の詳細は実際のアニメを見ていただくとして、この作品は「皆殺しのトミノ」と言われる富野由悠季の作品としては珍しく、目的に一直線に向かって突き進む勢いある爽快な活劇とドタバタギャグ。さらに時には人情話も盛り込んでいる。

この「戦闘メカ・ザブングル」、企画段階で「笑いとアクションとペーソスの中に、生き生きと飛び跳ねる主人公たち…

という設定で企画が二転三転していた。そして当初監督を頼んでいた吉川惣司が途中降板。急遽富野由悠季が放送4カ月前に参加して、作品は出来上がった。

 

富野由悠季「ザブングル」誕生秘話

ロボット物をらしく創る要素は、ロボットを動かしてもいい世界観をつくることであるという一点に絞り、3時間ほどその事を考えていった。が、先にある企画書を読むだけでヒントはなかった。

で、いい加減、危機感に悩まされ、風呂に入ってみる。体操をしてみるとやるのだが12時になっても、ガソリンで動くロボットにする条件しか思いつかなかった。

アイデアというものはこんなものだ。矢立(富野自身のこと)は西部劇にしろといっていたな、という事を思い起こし、場合によってはもう一晩泊まってやろうか、と考えていた時に西部劇なら荒野、荒野なら地球全てを荒野にしてしまえと思いついた。

ならば、なぜ地球全てが荒野になったのかを考えてみたが、これはSF的にも不可能らしい…。が、いい、とにかく、一度、全地球的な破壊があって、再生すべく戻った人類がいかに生きてゆくのか、生き続けてゆくのかの活劇にしようと思いついた。

人類が少なければ、石油も使えよう。乾燥しきった地球上ならば、石油層の深い所も使えるわけだし、もし、地球上が破壊の後ならば、かなりの異変の後であったろう。

以前の人類がすなおに生きられまい。新しい人類の再生の実験の時代だろう、等々。

なら、高度なエネルギー・システムは使うまい。にもかかわらず、二本脚メカを稼働させるコンピューター・システムなどはシビリアンに与えよう。

しかし、それらのメカの基礎技術も学力も与えておかなければ、シビリアンはただおしきせのものを使うしかないだろう。たとえていえば、電気に弱い人にラジオの修理をしてみな、というようなレベルの人だけの世界。

なぜならば、新しい地球の環境に耐性をつけさせてゆくためには、ひたすらタフな人間をチョイスしなければならない。だから、弱肉強食をさせて、生き残り戦をシビリアン同士にやらせよう。

そのためには、テリトリー争いをさせればいい。ブルーストーンのような何の価値もないものの採掘とか販売をさせることによって、経済を教えていきながら…。

その上でなお、なぜ、二本脚メカなのか?
そう、弱体化した人類の願望が(イノセントが)二本脚メカをシビリアンに与えたのだろう。

そういった順列で設定書が出来上がれば、あとは人物揃えとストーリーである。これはメインの数人の配置を決めたら、あとはストーリー作りをするだけでいい。

そんなことが終わったのが午前三時か四時だったか。

一人、良かったね。さすがにプロ、と自意識を満足させて寝ると大変良く眠れる。

 

ザブングル誕生秘話から見えてくるもの

上記が「戦闘メカ ザブングル記録全集1」からの抜粋である。

この物語に出てくるシビリアンのジロン・アモス以下、アイアンギアの仲間は、元々地球上に住んでいた人類でないことがわかります。

元々地球上にいたのがイノセント、汚染された地球でカプセルの中でしか生きられなくなってしまった人類です。その地球上で以前出来たように外に出て生活するために、様々な実験を繰り返し、シビリアンはその実験のためにイノセントによって生み出された人種ということなります。

このシビリアンがイノセントのクローン技術によって作られたといっても間違いではないかもしれません。要するにこの物語の主人公はクローン人間?という、子供達にとっては刺激がキツイ設定になります。

でも劇中、そんな表現はあまり大きく取り上げてません。

そんなイノセントの決めたルールでしか生きれなかった、モルモットとでもいうべきシビリアンであるが、主人公ジロンが「両親の仇」で「三日の掟」を破り、自身の肉体を持って思うがままに行動する「生きている人間」として、そしてどんな困難や悲しみも乗り越え、ひたすら前へ前へと突き進んで姿に徐々に影響され、他のシビリアンも賛同していくことで、物語は人間本来が持っている情や愛、そして嫉妬などを経験して自我に目覚めて、イノセントからの自立と汚染された環境に適応して最後は勝利するという内容。

子供の頃は、そんな深いキャラクター設定をイメージしていなかっただけに、さすが富野由悠季!といったところです。

世界やドラマのルールがいずれは破られていくというテーマを富野由悠季自身がこのアニメの中で表現し、ロボットアニメの枠組みを破壊して、新しい価値を作り出そうとしていることが窺えます。

ザブングルはアニメ本来のフィクション性を堂々と登場人物のキャラに取り入れ、例えばジロンたちは自らがアニメのキャラであると自覚していて、「アニメなんだから簡単には死なないようになってる!」というセリフを言ったり、「脇役だから、いい場面では描かれないよ〜」と自虐的なセリフを言ったりして、普段と違った世界観を出しています。

富野氏が「ザブングル秘話」でシビリアンに対するイノセントが設定したルールがありますが、ここでは富野由悠季自身がイノセントであり、その富野由悠季自身の今までのアニメ観をジロンとシビリアンを用いて「脱構築」を試みたんであろうと…。

ザブングルの最終回も独特であり、カーテンコールを組み込み、最大の敵であったカシムが笑顔で手を振るシーンで締めくくられる。

これはカシム(富野由悠季)が「あなたたちが見てきたのはアニメという演劇なんですよ」「ストーリー自体が人体実験であったというのはフィクションなんだからね」と富野自身の隠された弁明なのかもしれません。

 

戦闘メカ ザブングルを私なりに様々な資料を引用、交えながら考察してみました。


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