日本初のクラシックF1レース公式戦   出走マシン紹介②

1977年 LEC CRP1

プライベーターとしてF1活動を行っていたデイビット・パーレイが父親の資金援助を得て開発したオリジナルマシン。チーム名はパーレイの実家が営む冷凍機器メーカーの名称を使用した。しかし1977年イギリスGPの予備予選中に、スロットルトラブルを起こし、175㎞/hでクラッシュ。実に179.8Gの衝撃を受けながらも奇跡的に一命を取りとめたパーレイは、”最も大きい重力に耐えた人間”としてギネスに認定された。

1974年 LOTUS 76

傑作ロータス72を生み出しながら、その後継に悩んでいた頃のコリン・チャップマンの意欲作。ヒューランドFG400に電磁クラッチを組み合わせたセミオートマ・システム、クラッチ操作から解放された左足専用のブレーキペダルなど時代を先取りしたアイデアが盛り込まれていた。アンドリュー・ビューモントの76/1はロニー・ピーターソンのレースカーとして1974年南アフリカGPでデビューし、最終戦アメリカGPまで断続的に使用された。

 

1982年 LOTUS 91

1982年末に急逝したコリン・チャップマンに最後のグランプリ勝利を捧げたロータス最後のグランドエフェクトカー。モノコックはカーボン混紡材パネルをリベットと接着剤で組み立てたもので、前年の88で採用され、83年の92、93T、94Tまで基本的には共通の構造となっている。ナイジェル・マンセルが使用した91/7は、デビュー戦となった82年ブラジルGPで3位、モナコGPで4位に入賞したほか、最終戦のラスベガスGPまでシーズンを通して使用されている。

カーナンバー12のこちらのロータスは、1981年に87/5として製作され、ナイジェル・マンセルとエリオ・デ・アンジェリスが実戦に使用した個体。

 

1980年 BRABHAM BT49C

BT49Cはアルファロメオとの提携解消に合わせ1979年末に開発されたグランドエフェクトカー、BT49のスライディングスカート禁止対策としてハイドロ・ニューマチック・サスを搭載した81年仕様。3度のF1世界王者ネルソン・ピケが初のドライバーズタイトルを獲得したマシン。

 

1978年 LOTUS 79

チーム・ロータスに最後のダブルタイトルをもたらし、多くのフォロワーに影響を与えたグランドエフェクトカーの革命児。当時シーズン3~4勝でタイトルが獲れた時代に1978年11戦6勝と驚異的な勝率を挙げた。今回鈴鹿にお目見えしたマシンは、79の決勝デビューとなったベルギーGPでマリオ・アンドレッティがドライブし優勝した79/2。スペインGPからはロニー・ピーターソンのレースカーとなり、第12戦オーストリアGPではピーターソンが最後の優勝を飾ったマシンである。

 

1977年 LOTUS 78

逆ウィング断面サイドポンツーンを採用し、グランドエフェクト革命を巻き起こしたパイオニア。JPS-18と呼ばれたシャーシーNO.4はロータス78として最後に生産された1台で、グンナー・ニルソンのレースカーとして1977年ドイツGPでデビュー。最終戦日本GPでは、赤いインペリアル・カラーに塗られて話題となった。

 

1979年 SHADOW DN9B

1978年デビューの”セミウィングカー”シャドウDN9を大幅モディファイしたチーム初のグランドエフェクトカー。トニー・サウスゲートが同チーム在籍時に設計した最後のマシンでもある。このマシンは、新人エリオ・デ・アンジェリスのレースカーとして1979年アルゼンチンGPから投入され、F1ノンタイトル戦のレース・オブ・チャンピオンズで6位、最終戦アメリカGPで4位に入ったマシンである。

 

 

 


Prev Next

Comment

コメントを残す

CAPTCHA