日本初のクラシックF1レース公式戦   出走マシン紹介①

11月17・18日に鈴鹿サーキットにて2輪と4輪を融合したヒストリックイベント、SUZUKA Sound of ENGINEが今年も開催されました。その中で、今回の目玉イベントは、海外では「マスターズ・ヒストリック・フォーミュラ1」としてヨーロッパのサーキットを転戦しFIAの公式戦として開催されているイベントが昨年デモレースとしてお目見えし、今回はノンタイトルながら公式戦として開催されたガチバトルであることです。

参加できるマシンは1966年から1985年までの3ℓ自然吸気F1マシン。シリーズの存続を重視し、過当競争やコストの増大、事故を防ぐため、フォードDFVのレブリミットを1万回転以下に設定し、レースウィークの走行距離の管理、スタートはスタンディング式ではなくローリング式で行うなど、様々な工夫が凝らされています。

近年のF1がトップチームと下位チームの差が大きすぎて面白くない、と感じてる方もまた、このレースは懐かしくも当時の独特なデザインのマシンが登場するので興味がそそられるのではないかと思います。今年鈴鹿を走ったマシンを紹介いたします。

1972年 MARCH 721G

当時、特異的な設計で裏目に出て失敗に終わった721Xの代替車として第三戦スペインGPから投入されたマシン。F2の722のモノコックを流用し、ロビン・ハードの手でわずか9日で設計されたマシン。ワークスチームでは第六戦から在籍3年目のロニー・ピーターソンとフル参戦1年目のニキ・ラウダがドライブした。

1978年 FITTIPALDI F5A

エマーソン・フィッティパルディの兄ウィルソンが立ち上げたチームが1978年シーズンを戦ったマシン。ロータス78に影響を受けたサイドポンツーンが目を引くが、ウィングカー構造にはなっていない。78年にエマーソンがドライブし、F1ノンタイトル戦インターナショナル・トロフィーで2位に入ったほか、モナコで9位、79年ブラジルで11位完走を果たした。

1977年 WOLF WR1

フランク・ウィリアムズと袂を分かったウォルター・ウルフが、独自に立ち上げたコンストラクターの処女作。ジョディ・シェクターを起用して1977年にデビューし、開幕戦勝利し、初年度で3勝挙げた。77年には日本GPでシェクターが10位完走し、翌年78年途中でセオドール・レーシングに売却され、ドイツGPとオーストリアGPで若きケケ・ロズベルグがドライブした。

1976年 McLAREN M23

エマーソン・フィッティパルディとジェームス・ハントをチャンピオンに押し上げた1970年代の傑作マシン。鈴鹿に登場したこのマシンは、1973年から76年の間に12台製造されたと言われるマクラーレンM23のなかで最後に作られたもの。デュポン・ファミリーの御曹司であるブレット・ランガーが購入し、77年と78年にプライベーターとして出場した珍しい経歴を持つ。最高位は77年オランダの9位。

1977年 HESKETH 308E

ジェームス・ハントを見いだしたアレクサンダー・ヘスケス卿のF1活動最後のマシン。ボディサイドに描かれた”ペントハウス”のスポンサーカラーで有名になったこの308E/1は、ルパート・キーガンのレースカーとして1977年アメリカ東GPで8位になったヒストリーを持っている。結局、チームは翌78年序盤でF1から撤退する。

1976年 PENSKE PC4

現在もインディやIMSAで活躍するアメリカの名門チーム・ペンスキーが、かつて1974年から76年にF1に参戦していた時のマシン。3作目にあたるPC4は76年にジョン・ワトソンのドライブで参戦、フランス、イギリスで3位入賞を果たしたほか、第11戦オーストリアGPでは、ペンスキー唯一の勝利を飾った。この車、76年の富士にも参戦していた。

1976年 MARCH 761

 

 

マーチはマックス・モズレー、アラン・リース、グラハム・コーカー、ロビン・ハードの4人が立ち上げたコンストラクター。F2の762と多くの部分を共用するキットカーで、ワークスとプライベーター合計4台が同時エントリーしたことでも知られる。

1974年 MARCH 741

1974年4月にシルバーストンで行われたF1ノンタイトル戦で、高原敬武が日本人として初めてF1に出場した際にドライブしたマシン。当時マーチはワークス活動と並行し、プライベートチームにマシンを市販していたことでも知られる。ハンスヨアヒム・シュトゥックのレースカーとして、南アフリカGPで5位、スペインGPで4位入賞したほか、F1引退後は78年頃まで英国ヒルクライム選手権で活躍した。


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