現代社会における武術・武道の意義とは?

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私は、高校生で柔道、それ以降はシュートボクシングに空手、そして現在は中国拳法の太氣拳を学び修行中です。

元々武道を始めたきっかけは、ジャッキーチェンやプロレスの影響からで、「喧嘩に強くなりたい!」といった類いの理由ではなく、ミーハー的な「カッコイイなぁ」という浮ついた気持ちから始めていきました。

そうは言っても、いざ武道を始めて組手などをしていく内に、“負けたくない“という格闘家や武術家の持っている本来の強くなりたい、といった気持ちが生まれてきました。

私は現在50歳ですが、私が育った少年時代から20代後半にかけては、特にメディアが格闘技を取り上げ、映画ではブルース・リーに始まりジャッキー・チェンへと受け継がれたカンフーブーム、武道や武術がスポットライトを浴び、我々の世代の男の子にとって憧れの対象になってました。

ところが近年は一般的に格闘技ブームは過ぎ去り、映画はアクションがCGで作られ、ジャッキーも還暦を越え、かろうじてドニー・イェンが素晴らしいアクションを演じるものの、世間がカンフー映画を望んでいないという、我々世代には寂しい時代となっています。

武道や武術が一般の人にとってはあまり意義深くはないという印象です。

ところで長年、真剣に武道や格闘技と向き合って、頑張ってられる方のほとんどが、武道を習っているからといって、道場外で技を試すようなことは少ないと思います。

警察官、自衛官、警備会社に勤務している人の大半が、訓練はみっちりやっても実戦は未経験という人が多いと思います。

プロの格闘家としてリングに立つ人は、血を流したり骨折などの怪我もありますが、それは試合であり危険を伴いますが、ルールに則った闘いで勝敗を争うというもの。

武道や武術は本来、自分の身を守ったり、粗暴な輩を仕方なく撃退するためのもので、私が始めたきっかけはミーハーでしたが、武道とはそういうものなんです。

しかし、治安の悪い海外のスラム街と違って、現代日本はその必要性を感じずに過ごせていますし、実際に武道や武術に触れなくても生きていける世の中です。

では、現在日本で武道や武術を学ぶ意義とは一体何なのか?

ぜひ現役の武術家の皆さん、お声を聞かせてください。


2件のコメント

  1. こんにちは。
    初めてお邪魔したのですが、とても有意義なお話しだと思いますので僭越ながら自説でお目汚しを失礼いたします。

    一般に武術・武道・格闘技の社会的意義について議論されることは少ないと思いますが人間探求の方法として、数ある選択肢の一つとして選ぶであろう人たちにとって、今後は抜き差しならない問題になるだろうと予見しております。

    毛色は違いますが格闘技から例に取りたいと思います。
    格闘技はスポーツであり競技であり、そこに従事する人は「試合(ためしあい)」と言う形式でお互いの優劣を競い、それを顧客(観客)に提供(見せる)ことで一つの経済圏を成り立たせています。
    社会が平和であるからこそ安全性を考慮した暴力のショービズ化はとても有意義で健全な事です。

    一方で武術・武道は本来の目的として「有事の際の備え」と言う側面を持っています。
    格闘技も「有事の際の備え」になると言う方も居られると思いますが、プロの格闘家になればなるほど安易に手が出せない、手を出せばプロ格闘家としての経済活動を諦めざる得ないのではないでしょうか。
    有事と言うのはそれこそ人の命に関わる問題です。
    その部分を観客(顧客)に見せて(提供して)お金を取ると言うのは現代の明文化された社会の中では法の制約によって無理があると思います。
    「その部分」はつまりは一線を越えたところ、武術は不幸にも一線を越えてしまった人間を相手にして、こちらも一線を越えて対処する術であると解されます。
    一線を越えた人間を相手にするのですから、当然「一線を越えた人間の行動心理」について研究します。
    対処する相手を良く知りもしないのに対処なんてできませんよね。自分も一線を越えた人間になりきってみるのです。なりきった自分を俯瞰で見ればその特性が見えます。特性が見えれば落しどころが見えます。つまり攻めるべき場所が浮かぶのです。

    でももっと根本に立ち返ってこのように考えられないでしょうか?
    「一線を越えてしまった人間に至った経緯、その心理」を考えてみる。自分は一線を越えてしまう人間だろうか自問してみる。自分の家族は?友達は?そして一線を越えてしまうような人間を生み出さないために自分は何ができるのか考えてみる。
    とても地道で長い道のりかもしれませんが世の中にあふれる加害者を一人でも減らすにはどうすればいいか?それを考えていくのに武術・武道は役に立つのではないか。

    これが私の考えている武術・武道の社会的意義です。
    長文失礼いたしました。

    1. ひらがなのひと様

      貴重なご意見をありがとうございます。
      「一線を越えてしまう人の心理や経緯を考えてみる」という視点は思い浮かばなかったです。武術は元々有事に備えて自らを守るものであるとは周知のことだと思います。
      日本ではそうではないですが、アメリカでは一般の方々は有事に備えて銃が認められております。ところがアメリカでの近年の銃での犯罪は問題になっており、この銃が日本でも認められたらと思うとゾッとします。
      敵から身を守り、倒す術を突き詰めていけば究極的には武器術になり、銃もその一つ、国が有事の備えとして考え出したら核兵器へとなってしまいます。
      武術をやる以上は、自分の気持ちをコントロールして周りの視野も考えて行動出来る“心”も学んでいかねばならないと、痛感しますね。
      ひらがなのひと様のご意見で、それをより考えさせられるました。ありがとうございます

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