立禅で自分に勝つ、ということとは?

太氣拳や意拳で武術として立禅を行う場合、基本的には養生での立禅と大きく違いはありません。

武術的な稽古においては、立禅以外に、動きのある揺(試力)や歩法である這、対人練習での推手や組手などを行います。

太氣拳や意拳では、「筋力や無理した力は決して使ってはいけない。体は緩めた状態で意を用いて行うべきである」と言われています。

基本的に筋力で何かを行おうとすれば、体の気血は滞り、関節は勿論、内臓にもダメージを与えるので、絶対に良くないと忌み嫌われています。

そして、その筋力に頼らない意で用いるパワーを養うために立禅を行います。

さらに立禅では、重さのある大木を動かすというイメージを持ち、実際に大木を動かしているように僅かに動いたりするのですが、絶対に力みはいけません。

本来、動かないものを実際に動かそうと僅かに動くことを行うと、知らず知らずに力に頼って足が疲れてきたりしてしまいます。

立禅で力まずに、様々な動きをイメージで行えないと実戦でも力に頼った良くない動きになってしまいます。

私も“力まずに”を心掛けてわかっているのですが、ついつい力を使ってしまうことが多々あります。

これは自分の心と体が上手くリンクできずにコントロール不能状態になっているということでしょう。

こういったことは我々の日常でもよく見受けられます。

ダイエットしなければいけないと分かっていてて、つい食べてしまう。あるいは、良くないと分かってて飲み会のシメで深夜にラーメンを食べてしまう。

これらは己の理性をコントロールできずに、本能のみで行動してしまっている結果起こることでしょう。自分を制することが出来ていないんですね。

太氣拳で、力みをなくして動くというのも、自ら意識しなければ、人間の基本的な本能に即した行動様式に走ってしまうということだと思います。それが我々が今までの体の使い方だったからです。

そう考えると“立禅”とはいい名称です。“禅”で自分と向き合って己を知る、という意味では、まさに修行そのものだと思います。

 


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