武術の実戦において、理想的な心理状態とは?

元々武術は、命のやりとりが伴う危険な状態での敵とのやり取りが普通でした。

そんな緊迫した場面で、如何に冷静に的確な判断のもと、体が機能するかが生死を決めるポイントだと思います。

例えば、道路にある白線。

普通、ここを別に苦も無く歩くことができるでしょうが、この白線の外側が断崖絶壁だったとしたら、気軽に歩くことはできないでしょう。

人は何らかの心理的プレッシャーを感じたら、普段何気ないことも全く違ったパフォーマンスになってしまいます。それがましてや命に関わることなら尚更です。

 

これを克服するために、あらゆるスポーツや武術は、何らかのイメージトレーニングで克服しようとします。緊張して体が強張ったり、力んだりといったことのないように。

ある太極拳の先生は、「お茶を入れるときのような感じで」戦えと仰ってました。お茶を入れる時は、人は何も意識しないで自然な動きで行ってますものね。

太氣拳の澤井健一先生は、「いつでも白帯を相手にするような戦い方ができないとダメ」だというようなことを本で読んだことがあります。

重要なことは「意識しないでパフォーマンスできてる」ことだと思います。

歯を磨く感覚と同じように、敵に相対峙できること。

 

太氣拳・意拳は、とくにイメージ(意念)を大切にしています。

例えば、体をリラックスさせるために、水の中に漂っているイメージでゆらゆら浮力で浮いているイメージを持ったりします。

腕にボールを抱えて長時間立ってると体は強張ってきます。でも抱えたボールが水の浮力で浮いているというイメージで実際に、体でそのイメージを表現できれば、強張りもなくなってきます。

また膝を少し曲げて立ってると足も疲れてきますが、ちょっと大きめのバランスボールに座ってもたれているイメージでいると足の疲れもなくなってきます。

こういった太氣拳のイメージ(意念)はとても大切なエッセンスであります。

しかし最近、この意念さえも持たないことが大切ではないかと、思ってきました。

というのも、「水の浮力」「木を引き抜く」「波の抵抗」を感じるということも、実はそれを意識してしまっているので、それさえも意識しない状態・境地へともっていくのが本当の武に対する心の持ち方ではないかと・・・

何も意識せずに、勝手に体が動くこと、それが目指すべきゴールだとしたら、道のりは長いですね。

 


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