2018 F1 フランスGP 10年ぶりの開催

今シーズン、フランスGPが2008年マニクールで開催されて以来、10年ぶりに開催される。今回は、マニクールではなくポールリカールでの開催。ポールリカールでのフランスGPは1990年以来で、フェラーリのアラン・プロストの優勝で幕を閉じて以来である。

ポールリカールは当時とは、距離もコース事態も変更されており、1周は5.842kmになり、1.8kmの名物ストレート「ミストラル」にはターン8,9のシケインが設けられているのが残念だけど、安全性を考えたら仕方ないでしょう。昔はエンジンブローなどによりコントロール不能になって重大事故が多発してましたが。

こちらが1990年まで開催されてたポールリカール。距離がかなり伸びて、若干の面影を残しつつも全く別なサーキットとして生まれ変わりました。これからどのようなバトルが展開されるか、楽しみです。

さて、以前のポールリカールでのレースで私にとって印象に残っているものはといえば、1988,1989,1990と地元のアラン・プロストが3連勝したこと。

それをちょっと振り返ってみようと思います。

1988年

1988年といえば、マクラーレン・ホンダが16戦15勝という、圧倒的な強さを示して文字通り、優勝争いはセナとプロスト二人舞台となってました。
セナは開幕から6戦連続でPPを獲得し、このフランスGPで7戦連続の新記録がかかっていたが、 金曜日からトラブルに見舞われる。金曜午前にエンジン冷却の問題が出てスペアカーに乗り換えるが、 スペアカーの優先権があるプロストに手渡すことになってしまった。

このことが影響したのか、結局、予選では金曜、土曜ともにプロストがトップタイム。 セナも一時は逆転するが、プロストの気合が上回った。 これで開幕からの連続PPは途切れ、久々の2番グリッドからのスタート。

決勝レースでもPPからプロストが先行し、セナが2番手を走る。 しかし中盤、プロストはタイヤにトラブルが出てピットイン。 さらにピット作業が手間取り10秒以上もロスしたこともあり、その間にセナがトップに躍り出る。

セナは24周の間レースをリードするが、後方からはプロストが迫ってくる。 そして61周目、周回遅れでつまっていたセナをかわしプロストが再びトップに浮上。 セナは後に周回遅れを利用し自らのアドバンテージにすることが多くなったが、 このレースではプロストにしてやられた。 逆に考えると、ここから「周回遅れの活用法」を学んだのかもしれない。 レースはそのままプロスト、セナの順で終わった。

「ギアレバーの感触がふわふわし始めた。そのうち奇数のギアがかみ合わなくなった。 リードしていたときもギアチェンジに問題があって、それはどんどんひどくなるばかりだった。 アランの行動はあれで正しかった」(「アイルトン・セナ 天才ドライバーの素顔」より)

トラブルに見舞われたセナだったが、このレースではそれ以上に地元で燃える プロストの気合が上回ったような気がする。 シーズンが進むにつれてセナに押され気味だったプロストだったが、地元で意地を見せた。 しかしセナもこのレースの敗北によってさらに強くなり、 中盤戦を爆進していくのだった。

1989年

予選
予選では自国グランプリとなるプロストがチームメイトのアイルトン・セナを2/100秒上回るタイムで、前戦カナダGPに続きシーズン2度目のポールポジションを獲得した。フェラーリのナイジェル・マンセルがそれに続き、新車を投入したナニーニが4番手となった。

決勝
スタートが切られると、2番グリッドからスタートしたセナがリードを奪って第1コーナーへ進入した。

ところが、10番グリッドから好スタートを切ったマウリシオ・グージェルミンが第1コーナーでの減速時にティエリー・ブーツェンやナイジェル・マンセルなどを巻き込んでクラッシュした。グージェルミンはブーツェン車に接触した際に跳ね上がり裏返しに着地し、その際マンセルのフェラーリのリアウィング周辺を破壊した。この事故でレースは中断した。再スタートまでにグージェルミンとマンセルはマシンが間に合わず、ピットスタートを余儀なくされた。

再スタートが切られると、セナのマシンはディファレンシャルのトラブルで間もなく停止した。

プロストは首位のまま第1コーナーを抜けると、以後誰にもその位置を明け渡すことなくゴールまで走り切った。プロスト以外の予選上位のドライバーは、ピットスタートとなったマンセル以外は7番グリッドのアリオーまでがマシントラブルで姿を消した。

マンセルは激しく追い上げ、レース終了時には2位まで挽回した。3位にはリカルド・パトレーゼが入り、自国でF1デビューを果たしたアレジが4位に入賞した。グージェルミンは規定周回数不足のため完走扱いとはならなかったものの、初のファステストラップを記録した。

そしてこのグランプリから、90年代に記憶残る数々の走りを披露したジャン・アレジがデビューした。

1990年

中盤戦に入って、フェラーリが本来の力を発揮し始める。操縦性が悪く、 タイヤのタレが早いマクラーレンはホンダパワーとセナの腕でカバーするが、 それとは対照的にコーナーで安定し、決勝セッティングが優れているフェラーリが猛追する。
フランスはプロスト(フェラーリ)の地元。セナが地元ブラジルでなかなか勝てなかったのに対して、 プロストは地元フランスでは毎年のように圧倒的な速さと強さを発揮する。 プロストはフランスで通算6勝をあげ、88、89年では予選でも「ミスターPP」セナよりも速かった。

予選は金曜2位。土曜日はセナにしては珍しく、プロストのように決勝セットアップに専念し、 アタックらしいアタックはしない。PPはマンセル(フェラーリ)、2位ベルガー(マクラーレン)。 セナとプロストは2列目、3位-4位。しかしマンセルとセナの差は0.15秒を切っており、 プロストとの差も0.37秒。接戦が予想される。

決勝レースはオープニングラップでベルガーがマンセルをパス。 翌周にはセナもべルガーに続きマンセルを抜き2位に上がる。 4位スタートのプロストはナニーニ(ベネトン)とパトレーゼ(ウイリアムズ)にかわされ、6位に転落。

ベルガーはストレート重視のセッティングで、トップを快走。 べルガーとセナは1-2体勢で30周目前後に訪れるピットストップまでレースを引っ張る。

最初にベルガーがタイヤ交換のためピットイン。しかしこのとき1速を失ってしまい、タイムロス。 その2周後にはセナがピットに入ってきたが、左リアタイヤにトラブルが生じ、こちらも16秒ものロスをしてしまう。 セナは8位でコース復帰。ここから地道に追い上げていく。

各車タイヤ交換を終え、順位が安定すると、プロストが3位に浮上。 無理なバトルを避け、いつの間にかポジションアップ… このあたりがプロストのプロフェッサーたる所以か?

レースは中盤、中堅チームのレイトンハウスのカペリとグージェルミンが1-2走行。

セナはグージェルミンとナニーニのリタイアなどにも助けられ、3位まで順位を上げてゴールした。 思わぬトラブルもあったが、チャンピオンシップへ貴重な4ポイントを獲得した。 優勝争いはプロストが残り2周でカペリを捉え、見事な逆転優勝で連勝。

このレースでのもう一方の主役は、レイトンハウスであろう。非力なジャッドエンジンのパワーを空力デザインでカバーしたマシン。

SONY DSC

このマシンのデザイナーは現在レッドブルにいるエイドリアン・ニューウェイであり、レイトンハウスから、ウィリアムズ、マクラーレン、レッドブルと渡り歩いて、すべてのマシンからチャンピオンを生んでいる。

歴史を感じますね。


Prev Next

Comment

コメントを残す

CAPTCHA