魔界を歩こう 〜大阪ミナミ、千日前〜前回の続き

明治4年、政府は刑場、焼き場などを廃止。墓地も阿倍野に移転して歓楽街にしようとします。

実はこういう墓場、寺のあるところは栄えるという。以前から「千日供養や!」という名目で毎日お寺に通うふりをして、近くの色街へ通う。そういうのが道楽者の風習であった。だから寺や墓地に隣接して歓楽街はできた。道頓堀がその典型でした。

千日墓所の近くを歓楽街として賑やかにするというのが江戸時代の幕府の政策でもあった。だから案外、千日前という名も色街の女性目当ての人たちによって名付けられたのかもしれません。

明治政府も寺、墓所の跡に歓楽街を造る政策。東京の浅草(小塚原刑場と吉原遊郭が奥州街道沿いに)と京都の新京極(化野と粟田口に刑場と墓地)もそうです。

墓地と繁華街は表裏一体なわけですね。梅田もそうで、江戸時代の古地図には梅田墓所、とあります。近松の「曽根崎心中」の主人公たちの心中する舞台は今の露天神のあたり、今は賑やかなところだが、葦の生えるようなさみしい場所だった。

また、江戸時代は賭博がご法度。そして賭博場は社寺の境内だった。理由は、町奉行は社寺の中で起こることは管轄外で手出し出来なかった。社寺は寺社奉行の管轄で、寺は境内を賭博に貸すかわりに、儲けの一部を寺銭としてもらっていた。

墓場や寺のある場所に遊郭ができ、賭博場がある。そりゃ、人が集まりますね。

以上を踏まえた上での千日前、明治政府がここも同じように開発しようとしたわけです。

ただ最初は買い手がつかなかった。そりゃそうです。現代でいう”事故物件“ですからね、土地そのものが!

そこで政府は「灰処理代」として一坪50銭出す、ということで見世物小屋が出来出した。

明治36年には南海鉄道の難波ー和歌山間が開通、ここから本格的な開発が進みますが、明治45年にミナミの大火で町並みの殆どが焼失。ミナミの遊郭は飛田に移転。

しかし、南海鉄道がここを歓楽街にするために出資し、ドーム型のレジャーセンター「楽天地」を完成させ、千日前の歓楽街の歴史が本格的にスタートします。

「楽天地」は大阪最初の本格的映画館もあり、少女歌劇、演芸場、水族館、地下にはローラースケート場、メリーゴーランドもあるという。

ただ御堂筋にデパートが出来だしたら経営も苦しくなり、昭和5年に閉鎖。続いて松竹が「大阪歌舞伎座」をその跡に建てました。6階にはアイススケートリンクもあったとか。

これが戦災で残ってGHQに占領され、占領軍の慰安婦施設として使われます。

占領軍の慰安婦施設として使われた後に、デパートとなるわけです。そう、千日デパートです。

占領軍慰安婦施設は「ドリームランド」と呼ばれてたが、千日デパートはこれを「ユメノクニ」という今でいうキャバクラ、アルバイトサロンに引き継がれます。

デパートなのにアルサロ「プレイタウン」として営業していて、千日デパートの火災の犠牲者のほとんどが、ここのお客さんと従業員だったんですね。亡くなったホステスたちは、学生とか主婦とか、アルバイトの女性たちが多かったそうです。

そしてその千日デパートの跡に建っているのがビックカメラです。

では、その後に起こった怪異をいくつか紹介して、締めるとします。

《アルバイト店員の不思議体験1》
客が帰った閉店後、アルバイトは一箇所のフロアに集められる。そして監督の社員の指示のもと、翌日のバーゲンに備えて、商品の値札の張替え作業等を徹夜でするのだった。夜の10時を過ぎた頃だった。
「火災発生…火災発生…」
突然、女性の暗い声で館内放送が流れてきた。彼女は驚いたが、社員はその放送を無視するかのように「作業を続けてください」とアルバイト達に指示していた。不審に思ったが、館内放送はすぐ止んだので、また黙々と作業を続けたという。その後、彼女が長く勤めているアルバイト仲間から聞いた話によると、夜のこの時間には、決まって不可解な館内放送が流れるという。さめざめと泣く声やしきりに助けを求める声を聞いたこともあったという。それは、ちょうど火災が発生した時刻であった。
出典
怪談「真夜中の館内放送」 – リアルライブ
※プランタンなんば

《アルバイト店員の不思議体験2》
昔、友人がここでバイトした時、バイトの初日、全員にお守りが配られたそうです。
「どうしてこんなもの配るんですか?」と尋ねると、
「いいから、肌身離さず持っとけ!!」と、怒鳴られたそうです。
しばらくして、バイトの一人が、「こんなもん要らんわ」と言って、そのお守りをそっとゴミ箱に捨てたそうです。
その人は、翌日からバイトには来なくなったそうです。どうしてか尋ねると、
「あいつ、事故起こしたんや・・・」と言われたそうです。
出典
心霊体験
※プランタンなんば

《アルバイト店員の不思議体験3》
友人の妹さんが数年前のプランタン時代に働いていたそうです。彼女が直接何かを体験した訳ではないそうですが、何故か不思議な事に「終業時、全館一斉退社」だったという話です。
なぜ、全員で一緒に退社するんですか?という彼女の疑問に「以前、終業後に館内で行方不明になった人がいるから。」と答えられたそうです。
尚、それだけ気を付けていても時々内側から「ガン!ガン!」とシャッターを叩く音が聞こえたそうです。モチロン、中には誰も居ないのに・・・。
出典
「千日墓の呪い」を検証するスレ – オカルト超常現象::unkar
※プランタンなんば

《エレベーターにまつわる怖い話1》
残業をしていた売り場の上司と女子店員が、帰ろうとしたら、いつも使っているエレベーターが、どこにあるか分からなくなったとのこと。それで、何人もの人に聞いて、聞いて、エレベーターを見つけて、女子店員が先に降りて、下で上司を待ったけれども、いつまで待っても、上司は降りて来なかった。そのまま上司は、行くえ不明になってしまったと言う話。
この事件は、警察の記録に残っている。
また、その時間に、エレベーターの場所を教えてくれる店員が、店内にたくさん残っているはずがなかったとのことだった。
出典
“ミス大阪”からの帰り – 十三のネオン街は、男を磨く“道場”だ – Yahoo!ブログ
※プランタンなんば
詳しくは→http://kyouhu.ldblog.jp/archives/24178483.html

《エレベーターにまつわる怖い話2》
付き合いの長い知り合いが夜中に工事に行ったときのこと。難波プランタン(以前の千日デパート)閉館の1、2年前だったかなぁ。
知り合いは電気工事屋をやっているんだけど、仕事が終わって帰ろうとしたときに、エレベーターが止まったそうだ。
真夜中で、館内は知り合い含め数人の工事関係者しかいなかった。「今日は作業終了」ということで、関係者全員が2階だか3階くらいからエレベーターに乗り込んだ。
地下駐車場に降りるために地階のボタンを押したところ、ドアが閉まると同時になんと、エレベーターは上昇。一気に緊張感が高まり、皆無言になったらしい。
8階(ってあるの?知らないんだけど)まで行ってようやく止まりドアが開いた。開いた先には、非常灯に照らされた暗い廊下が見えるだけで、誰もいなかった。
無言のまま1人が「閉」のボタンを押し、再度地階のボタンを押す。ほどなくしてエレベーターは下降を開始。
ところがすぐにエレベーターは停止。今度は4階か3階あたりだったそうだ。またドアが開き、その先には暗い廊下が見えるだけ。
さすがに今度は慌てて「閉」ボタンを押し、地階ボタンを連打。下降を開始したエレベーターは今度は素直に地階まで行ってくれて、関係者はほっと安堵の息を漏らしたそうな。
ガクブルしている知り合いに、関係者の1人が「ここ、こういうことがよくあるんや。1人しか乗っていないのに、定員オーバーのブザーが鳴ったりとか」 と教えてくれたそうな。
それ以来、知り合いはあのビルを怖がって近寄らない。ビックカメラになった今でもそう。
出典
「千日墓の呪い」を検証するスレ – オカルト超常現象::unkar
※プランタンなんば

《エレベーターにまつわる怖い話3》
プランタンの8階でバイトしてた人の話です。
8階のその店は、夜遅くまで開いているので、仕事が終わる時はいつも下の階はもう閉まっています。
で、一階までエレベータはノンストップとなるわけですが、ある時、5階か6階あたりでで突然エレベータが止まりました。
でも、ドアは開かない。
エレベータに乗っていた人たちは、嫌な予感がしたそうです。
そして、ドアの向こうの遠くのほうから「たすけてぇ~~たすけてぇ~~」という小さな叫び声が。
その声は、だんだん近づいてきます。みんな恐怖の為に声も出せず、微動だにできなかったそうです。
「たすけてぇ~~!」どんどん、ドアに近づいて来ます。
「たすけてええええ~~~!!!」 そして、ドアを隔てたすぐ前で、その絶叫が聞こえた瞬間・・・
ガタン!!とエレベータは再び動き出し、無事一階に着いたのでした。
ちなみに・・・プランタンでは、夜勤の警備員の人はいないと言う話でした。
なぜなら、警備員の人の命の保証が出来ないからだそうです。
※プランタンなんば


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