魔界を歩こう 〜大阪ミナミ、千日前〜

千日前周辺で語られる怪異の噂の根源は、一つには昭和47年の千日デパート火災による惨劇があります。

不思議なことにそんなことを全く知らない若い世代や地方から来た人も、「ここはなんだか嫌!」という声を聞きます。

現在はこの地にビックカメラが建っていますが、「深夜1人で残業しないように」とか、新入社員は初日に身を守るための“お札”を手渡されます。

お札を貰いながらも、「幽霊なんて、いてるわけない!」といって捨ててしまったバイトが、突然来なくてなって行方不明になったという話もあるそうです。

実は、千日デパート火災の惨劇よりも以前からこの土地は曰く付きでありました。

明治初期までは、千日墓所という墓場であったことにあります。大阪には七墓所というのがあって、町の中に墓所や寺があると穢れる(けがれる)、ということで墓所と寺は町の周縁に創られた。

梅田、蒲生、天神橋、飛田などもそうでした。これらは江戸時代は町のはずれにある寂しいところだった。

中でも千日前は、大阪の街の南の端にあって、その先に町並みは無かった。だからこの辺りをミナミというわけですね。

では現在の千日前から、江戸時代の千日墓所の痕跡を見ていきましょう。千日墓所は、当初は難波村墓所と言われていて、大阪城から見て、裏鬼門の方向に作られた。

 

 

 

千日墓所は西を向いていました。正面入り口は堺筋の黒門。今は黒門市場が有名ですが、黒門が斎場の受付でした。

黒門から中に入ると、左手にすぐ獄門台(さらし首が並んでいた…)。右手は休足所(ゆっくり腰をかけてさらし首を見てた?)

そこから先は左右に墓地が広がっていた。売られてきた女、身寄りのない人、捨て子、乞食、罪人といった無縁仏もたくさん葬られていた。

さらに歩くと迎仏があり、そこに川があり無常橋がかかっていて、ここを渡ると死者の世界。

その先にちょっとした広場があって「六坊」と呼ばれる場所でお地蔵さんが並んでいる。その奥に榎の大木があって、そこに榎神社がありました。

榎神社は今、オリエンタルホテルの北側の筋に祠があり、それが痕跡のようです。

ここの由緒書きには「明治初期に区画整理で榎神社の境内の大きな榎を切り倒そうとすると、その祟りが職人にふりかかり、白蛇を祀ったら祓われた」と。

 

六坊の南側に斎場という焼き場がありました。灰山もあった。灰山とは焼け残った人骨と灰がうず高く積まれたぼた山(今みたいに綺麗に焼けなかったから)。  現在はオリエンタルホテル、なんばグランド花月、NMBシアターの辺りが斎場と焼き場であった。

戻って、首斬り場は現在はアムザ1000の辺りにありました。首切り場は地面に血がしみると良くないということであちこちに移動していたようです。

仕置き場のすぐ北側には自安寺という日蓮宗の寺があって、仕置き場は自安寺の敷地だったようです。現在は三津寺墓地となっている。

アムザ1000でサウナに入って、ちょっと涼もうとベランダに出て外の景色を見ると、墓場! それがこの三津寺墓地です。 凄い場所ですね!

無縁仏の墓石がたくさんあるそうです。

ちなみに、千日デパートの火災で亡くなった人は118人、仕置き場で処刑された人は118人。何と同じ数字だった、というのは何の根拠もない単なる噂でしかないようです。

 

さて、墓所の北側には竹林寺と法善寺が、道頓堀から南墓所へと向かう道の南北に並んでいました。

首切り場の向かい側に竹林寺は数年前までありましたが、今現在はラウンドワンになっちゃってます。

法善寺は水掛け不動さんとその近くに金毘羅さんがありますが、当時はもっと立派な寺院だったが、戦災で焼けてしまいました。

江戸時代、難波村墓所には無縁仏がどんどん運ばれてきて、弔いが絶えなかった。その回向が千日間絶えなかったので、法善寺、竹林寺の両寺を千日寺と呼び、その千日寺の前の筋、ということで千日前、となったわけです。

 

次回は明治以降の千日前です。


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