中国武術家・血闘記録 ~ 華拳・蔡龍雲 ~

時はまだ戦争と内戦に明け暮れていた中国の動乱期、1943年12月13日。

上海回力球場の特設リングでボクシングと中国拳法の決戦が行われました。これは西洋人のボクサーと上海少林派武術との集団対抗戦でしたが、中でも当時14歳の少年拳士・蔡龍雲が大活躍しました。

蔡龍雲といえば、2015年12月19日に享年87歳で亡くなるまで、華拳の第一人者として活動されてて、日本でも馴染み深い老師でした。

その蔡龍雲老師のデビュー戦がこのボクシングとの対戦です。14歳の少年なのになぜ出場できたのか?

そもそもこの対抗戦は、英米人たちの集う上海のボクシング協会が中国武術界に対して挑戦状を叩きたつけたわけですが、当時上海で実力をうたわれていた華拳門の蔡桂勤と査拳門の王子平が協力して立ち上がり、二人は門下生の中から最も優秀な若者4人ずつ選抜しました。

その中に蔡龍雲が入っていました。当初、王子平は「蔡龍雲を他流試合に出すには若すぎる!」と反対したが、蔡桂勤は「これが我が子の将来を決する最初の関門である」として、あえて心を鬼にして、出場させることにしました。

蔡龍雲は4歳から武術を始めており、このとき14歳。武術に関しては10年選手です。大人に混じって組手で打ち合いもしていました。

華拳や査拳というのは、蹴りや跳躍が得意で見た目にも華麗な門派です。以前日本でも書物が出版されてました(実は今も手元にあります)。

ところで、この対抗戦はどんなルールだったのか?

双方協議の結果、まず攻撃部位は上半身だけとし、技はパンチでも蹴りでも構いません。とにかく的確に上半身に入れば1点、ダウンしたら3点、ダウン10秒でKO負けです。

服装はボクシングスタイル、蔡龍雲の手にもグローブ、足にはゴムの運動靴でした。

1ラウンド2分 休憩1分の3ラウンド制で、蔡龍雲の相手はロシア系ボクサーのマスロフという腕力を頼りに各地を放浪して暴れ回っていたという人物。

対する蔡龍雲はまだ14歳の少年。まさに大人と子供の体格差。さぁ一体どうなるのか!

次回に続く


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