立禅(站椿)は長い時間やったほうがいい?

意拳や太氣拳の澤井先生の修行時代の話に出てくるのが、「一日中立ってるだけで、何時間も何日間も站椿しか教わらなかった」ということ。

意拳の創始者王向斎先生の内弟子の賽世明先生は、「站椿3時間、試力・発力3時間、推手・組手 2時間、計8時間毎日練習を続けた」そうです。

こうやってみていくと、站椿(立禅)は3時間ぐらいはやった方がいいような印象を持ち、我々もそう思って稽古していました。

初心者のうちは5分も続けると曲げた関節や腕が痺れ初めて、痛みとの我慢比べになります。いくら力まずにリラックスして行なっていても、痛みに自分が負けてしまいます。

1時間、2時間やったほうが立禅の効果は上がると信じて…

 

  • 立禅(站椿)では、形よりも重視されるのが意念です。基本的に立禅は筋力を鍛える稽古ではありません。(意念についての以前の記事は➡️ ココ)

この渾元椿の基本的な意念は、

  • お尻は高い椅子に座っている
  • 背中は壁にもたれかかり、首の後ろに枕を押さえつけている
  • 頭の上から一本のロープで引っ張られている
  • 両膝の間、両脇の間、顎の下にボールを挟んでいる
  • 両腕には大きな風船を抱えている

  • 曲げた肘は机の上に肘をついたようなイメージで風船を抱えている

 

というのが渾元椿の意念です(他にも沢山あります)。

太氣拳や意拳での意念の目的は、イメージで脳をだますということ。

10kgの重りを持っていると思ってトレーニングすると、身体がそれに反応して実際に10kgの重りを持ってトレーニングする時と同様の効果が上がる。意識によって脳をだます、脳が命令すると筋肉はそれに応じた重さを身体に加える。そしてエクササイズに必要なだけのエネルギーを気と血液を通じて送るように命令します。

ようするに実際に重りがないのに、身体が反応して重さがあるときの同じような身体の状態になるってことです。

これは例えば、温泉に浸かってるイメージを具体化できれば、身体は反応してリラックスできますし、意識の持ち方一つで身体はいろんな状態に持っていけるということ。

さて、今回のテーマである「立禅は長い時間やったほうがいいのか?」。

長い時間続けることがいいのではなく、長い時間続けられるほど、意念と身体の反応が具体的であるってことだと思います。

膝を曲げた状態で長時間立つというのは、膝を曲げてるのではなく高い椅子に座ってくつろいでる意念、肘を曲げてボールを抱えて腕を挙げているのではね、胸の高さの机の上に肘をついて、その両腕の中にボールがある、というような意識の持ち方。

これらの様々な意念がその人の身体の反応として表現できてるからこそ、長時間の立禅が出来てるんだと解釈したほうがいいと思います。

つまり、立禅を長い時間行うのがいいのではなく、長い時間継続可能なほど、身体と意識の繋がりが具体化できることを目指せ、ということではないであろうか?

これが最近、稽古の中で気づいたポイントです。


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