立ってるだけで、運動になり健康に効果があるのはなぜか?③

一般的なスポーツと呼ばれるものの大半は、健康な人をターゲットにしたものが多い印象がある。

そういったスポーツは、40代以降で始めるにはリスクがあり、また健康上に問題を抱えている人にとって、いきなり始められる運動というものがあまり見当たらない気がします。

意拳(太氣拳)の基本練習である站椿功(立禅)は、立ってるだけで健康な人も病人も誰でも始められるものであり、慣れてくれば体力に応じて、ステップアップした稽古法があり、最終的にはプロアスリートにも役に立つものです。

ただ、立ってるだけといっても単に立ってるだけではありません。

站椿においては、全ての関節を鈍角に曲げます。仮に真っすぐ立って、手もダラリとしていても脈拍は上がりませんが、膝に角度をつけ、姿勢を低くすれば運動量も脈拍も上昇します。

また腕の位置が低ければ運動量も小さく、何らかの反応が現れるには時間も要するが、腕が上にあればより運動量も大きくなります。

このように、站椿功の「形」の違いによって運動量も違いますが、それは言い方を変えると、その人なりの体力に応じて臨機応変に行えば、結果的に、その人にとっての最適な健康運動法と成りうるということです。

高度なのになれば、こんなのもあります。

養生目的の站椿功であれば、最初は音楽を聴きながらでも構いません。本来なら緑豊かな暖かい季節に、野外で行うのがベスト。これは站椿の精神的負荷を和らげる効果があります。

やがて要領を得るに従い、站椿を続けても疲れず、却って気持がよくなり休みたいと思わない段階に入ります。さらに継続していると、皮膚がしびれたり、手が膨らむような不思議な感覚(新異刺激)が現れ始めます。

この刺激は運動量が大きいほど早く現れます。

この不思議な感覚(新異刺激)は筋肉や関節などを刺激し、神経を通して大脳皮質に伝達されます。大脳はそれを違った形で反応を出現させます、「脚が痛いがこのまま続けるかどうか?」などの思考といった形で。

もしここで、站椿を止めてしまえば、それほど良い効果は得られません。でも站椿を維持するうちに思考が集中され、やがて無の状態に至ることができます。

この站椿を毎日継続して、1,2週間ほど練習するうちに、だるさ、しびれ、痛みなどの反応は筋肉の小刻みな震動へと転化し、体温の上昇と発汗が始まり、やがて心地良い感覚が現れます。

発汗の前後は、上述の反応(だるさ、しびれなど)と心地良い感覚との境界であり、生理機能が量の変化から質の変化に至る折り返し点で、せれは言いかえれば健康な身体を手にいれる入口に達したことを意味しています。

 

さて、今回站椿においての「形」についての効果を説明しましたが、站椿において最も重要な「意」についてはまだ語っておりません。

いくら「形」を真似ても「意」がなければ站椿功は意味のないものになります。初めて站椿功を始めようと思う場合、本来は「意」も理解した先人の方から学ばれるのが最良の方法ではあります。

次回「意」についてちょっとだけ書こうとおもいます。

「意」についてはブログでは語り切れませんので。

 


Prev Next

Comment

コメントを残す

CAPTCHA