お花見シーズン到来!

IMG_20591433493494-70231819 3月も終盤になり、春の訪れの象徴ともいえるお花見の時期がやってきましたね。

今回は、花見の歴史について書いてみようと思います。

 花見はいつから始まったのか?

IMG_2064現代では花見で愛でる花は桜、春を象徴する花ですね。

奈良時代は、桜よりも実は梅が好かれていました。この時代、花の鑑賞といえば梅をさしていた。 貴族たちの間では造園する際、梅を入れることが定番になっていました。

当時、日本は遣唐使で中国との交易が盛んで、中国文化・物品も多く日本に伝わり、その中の一つに梅があった。香り立つその花は珍重され、桜より人気がありました。

『万葉集』に詠まれた梅の数は、110首。それに比べ桜は43首だったことからも、梅がいかに愛されてたがわかると思います。

bungaku1 当時の貴族の風習は「歌を詠む事」。梅を見ながら歌を詠むことが、現在の花見の原型になったんではないでしょうか。

 

また、桜も無視されてたわけではありません。当時、人々にとって桜は古来より大切な存在。桜は神聖な木として重宝されてました。

桜は豊作祈願の象徴として農民の間で大事にされてきた。桜は春になって山から降りてきた田の神様が宿る木とされていたのです。桜の咲き方でその年の収穫を占ったり、桜の開花期に種もみをまく準備をしたりしていました。

「サクラ」の語源   「サ」;田の神様  「クラ」;神様の座る場所

「サクラ」は田の神様が山から里に降りてくるときにいったん留まる依代を表すとされています。 豊作を願って桜のもとで田の神様を迎え、料理や酒でもてなし、人も一緒に酒や料理をいただくわけです。これも花見の起源といえるでしょう。

 

平安時代、遣唐使が菅原道真により894年廃止され、そこから日本独自の文化が発展していきました。これを契機に日本古来の文化や美徳の人々が注目し、花といえば「梅」から「桜」へとシフトしていきました。

平安初期の『古今和歌集』には梅を詠んだ歌が18首に対し、桜は70首と逆転。平安時代に一気に桜の人気が始まったといえます。01_01 日本初の花見は嵯峨天皇が主催しました。812年神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催した。kannouemaki3 嵯峨天皇は大変な桜好きで地主神社の桜を大変気に入り、それを毎年地主神社に桜を献上させたという。 831年からは、花見が天皇主催の定例行事になり、その様子は『源氏物語』にも窺い知ることができる。

111245こうして天皇主催の花見を通し、貴族の間に桜の鑑賞が急速に広まった。

 

 

 

 

 

 

鎌倉~室町時代になると、貴族の風習が武士や一部地域でも行われるようになり、吉田兼好の『徒然草』には貴族と田舎者の花見の仕方が比較されています。f657adf4283ad634fd2b6846c2d843f3-300x209 貴族が桜を上品に愛でるのに対し、上京したばかりの田舎者は桜の下で酒を飲みながら連歌を楽しみ、どんちゃん騒ぎのような振る舞いだったという。

安土桃山時代は花見は徐々に盛大に行われるようになる。7b2fc75f3d32773913bba4c8e53e096ff0cae85c90cd9716a64616e8332b0075

特に豊臣秀吉が行った「吉野の花見」や「醍醐の花見」は有名です。このとき、各武将は変装するなど現代のコスプレをして楽しんだとか。秀吉も大いにはしゃいだといいます。

 

花見が庶民も楽しむようになったのは、江戸時代8代将軍徳川吉宗のとき。

1720年浅草や飛鳥山に大規模な桜の植樹を行い、庶民に桜を楽しむ場を提供しました。Yasui_tenjinyama_hanami 吉宗の政策により庶民の春の行事となった花見。桜を見ながらワイワイとお酒を飲むスタイルが主流になっていったのがこの時代です。

桜が美しく花を咲かせるのは、僅かのときしかありません。だからこそ、その貴重で美しい瞬間を我々は楽しみたくなるんですね。

桜にはもう一つ、別な意味もあるんですが、「桜は不吉である!」と。今回はこのことには触れずにいきましょう。

様々なシーンで桜を楽しんで過ごしてください。ではでは(*^_^*)3a838a6adbc3ccf9c22ae4c7bdb79187_s

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