京都魔界案内 ~本隆寺~

20140822075856d0d 京都市上京区から北区にわたる地域、西陣の中心あたりに、この本隆寺があります。観光慣れした有名なお寺とは違い、この地域に溶け込んだ庶民的な印象のある寺院であります。

本隆寺は法華宗真門流の総本山。日蓮宗の流れを汲む日真が妙顕寺の日具の下で修行した後、1488年に四条大宮に開創しました。1536年「天文法華の乱」で諸堂を焼失し、1542年に現在の地に移りました。

天文法華の乱は、1536年7月に、法華宗の布教拡大を恐れた比叡山延暦寺の僧兵が宗徒6万が宗教論争に敗れたことをきっかけに法華経弾圧に乗り出し、21の日蓮宗寺院をことごとく焼き尽くした事件です。

これによって日蓮宗は壊滅的な打撃を受け、1542年に15本山の再建が許可されるまで京都内において禁教とされてしまいます。本隆寺もこの期間は堺に避難していました。

 

本隆寺は、再建後もたびたび火災にあっているが、1788年(天明8年)の大火の際には、本堂と祖師堂が焼け残り、「不焼寺(焼けずの寺)」と称されるようになりました。AS20140324001325_comm

大火のときに難を逃れたのはこの井戸のおかげといわれているのが「千代野井」です。20151013_2 これは、無外如大尼が満月の夜、この井戸で水を汲んでいたとき、桶の底が抜け水面に映っていた月影が水とともに消えたことをきっかけに仏道に入ったと伝えられる井戸。

大火の際、異様な容姿の女性がどこからか現れ、この千代野井の水で防火したために、この寺は災いを逃れたといわれています。

 

img_4 もうひとつの伝説に「夜泣き止めの松」があり、この木の皮や葉を枕の下に敷くと夜泣きが止むと伝えられています。7f11b12b 16世紀、日諦上人が婦人から幼児の養育を頼まれ、その子を寺で預かりますが、毎夜夜泣きがひどく上人を困らせた。そこで上人は夜泣きのたびに、本堂横の松の木の周囲をお経を唱えて回ると泣き止んだとか。

その子は後に、立派なお坊さんになったそうです。

 

古くから存在する寺院などには歴史や、面白い伝承が残っていたりします。そんなことを知って寺院を訪れると、よりその空間を楽しめるのではないでしょうか。

map


Prev Next

Comment

コメントを残す

CAPTCHA