京都魔界案内~太秦編②、広隆寺~

wimg_0  【所在地】京都市右京区太秦蜂岡町32
【アクセス】京福電鉄嵐山線「太秦」駅下車すぐ。または、市バス右京区総合庁舎前下車、徒歩2分

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広隆寺、別名・蜂岡寺。 平安遷都以前からの寺で草創が確定していないといわれている。

初期の歴史では、603年聖徳太子が 「私は尊い仏像を持っている。誰か祀る者はいないか?」  と諸臣に尋ねたところ、秦河勝が進み出て仏像を戴き、蜂岡寺を造ったという。

あるいは、聖徳太子が死去した供養のために建立されたともある。

いずれにしても、ここでも”秦氏”が関わっていることには変わりありません。simages

 

 秦河勝についてhatanokatu1

さまざまな説があり、平安京の造成、伊勢神宮の創建に関わったとされる。聖徳太子より弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、広隆寺を建て、弥勒菩薩像を安置した。

大阪寝屋川に墓がある太秦にその名を残す。また河勝の末裔は猿楽などに従事した芸能の民である。 能楽の観阿弥・世阿弥親子も河勝の子孫とされる。kawakatu01

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広隆寺にまつわる伝説いろいろ

【其の1】

聖徳太子が秦河勝に自分が見た不思議な夢の話をした。

その夢の内容を聞いた河勝は「その場所は葛野という我々が住む場所です」と答え、聖徳太子をその場所へ案内した。

太子が見た夢は、大きな枯れ木の下に五百羅漢が集まって経を読んでいるものだった。

案内された場所には枯れ木があり、そのまわりをたくさんの蜂が飛び回り、まるで夢で見た羅漢のようであった。その場所に楓野別宮と名付けた仮宮殿を作り、太子は河勝に蜂岡寺を建てるように命じた。

 

【其の二】弥勒菩薩の謎

miroku_koryuji02今は木目だが、もともとは全身が金色であった。弥勒菩薩はいずれ再臨するキリストの姿だと。

顔近くで右手で印を結んでいます。キリストの右手は「親指と薬指の先を合わせる」という弥勒菩薩と全く同じ手の形をしている。

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キリストがなぜ、この手の形をしているのか?

「親指と他の指を合わせること」=父と子と聖霊の三位一体を表すもの

この手の形をすると親指と薬指と手の平で三角形ができる。この三角形が三位一体の象徴となる。(ちなみに前回の蚕の社の三柱鳥居も上からみれば三角形)

つまり広隆寺の弥勒菩薩像も右手でキリスト教の三位一体を表しながら思惟にふけているということになる。

 

【その三】 泣き弥勒

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親指、人差し指、中指を立てるという形をしてる。この手の形、これもキリスト教では三位一体を表す。

広隆寺の二体の弥勒菩薩像は「はるか未来に天から降臨してこの世を救う」という仏教の弥勒菩薩の話に、景教徒がキリストの姿を重ね合わせてキリスト教を作ったものであろうと。

 

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そして広隆寺を裏内宮として隠した人物、及び集団はそのことを分かった上で弥勒菩薩を広隆寺に祀ったのかもしれません。

 

 

 

 

広隆寺の由来の書かれた石碑

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この石碑、なぜか文字が汚く消されてる箇所がありますね。

これは作られたときに「秦の始皇帝の子孫」と彫られていました。

ただ、秦氏を新羅の出身とする学説を支持する人が寺に押しかけ抗議した結果、その部分を削り取り、薄い石を詰めて削除したからです。

 

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