京都魔界案内 五山の送り火

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image 京都の山を彩る五山送り火。毎年8月16日、今年は日曜日に行われます。

お精霊さんが迷うことなく冥途へ送る行事、いつ、誰が、なぜ始めたのでしょう?   京都の人びとは、幼い時から、「弘法さんが始めはったんや」と。

いつから始められたという公式記録の発見はまだなく、最も古い記録で、公家舟橋秀賢の日記『慶長日件録』の1603年七月十六日の「晩に及び冷泉亭に行く、山々に灯を焼く、見物東河原に出でおわんぬ」という記述による。

大文字送り火は、銀閣寺の当方にそびえる如意ヶ嶽の前山となる大文字山の山腹に、大の字の形に点火される。その昔、山腹にあった浄土寺が炎上した際に、本尊阿弥陀仏が峰に飛び移って放った光明をかたどって点火したのが起源という。

それを空海が「大」に改めたという。

image また、空海が左右上下に七十五基の火を焚き、飢餓・疫病の退散を念じたとも伝えられている。

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山麓では空海にあやかり、点火に使う割木、護摩木の奉納が銀閣寺門前で行われる。厄除けとなる護摩木は、山上で井桁に組み上げられ、木々の間に松葉をくべ、さらに麦藁でまわりを囲う。点火の一時間前、弘法大師堂で「般若心経」が唱えられ、その灯明でもって点火される。

 

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大北山の左大文字送り火もまた、空海起源説を伝えている。左大文字送り火は、法音寺の灯をから大松明に火を移して親火とし、世話人全員が隊列を組んで山へ登る点火儀式で行う。割木、護摩木奉納は金閣寺門前広場で行われる。

鳥居形松明送り火は、弘法大師空海が石仏千体を刻んでその開眼供養を営んだとき点火されたと伝わっている。

松ヶ崎の送り火「妙」は1307年、松ヶ崎村が日蓮宗に改宗した際、妙の字を万灯篭山に書いて点火したと言われている。

「法」の字はその後、大妙寺住職日良が大黒山に書いたことに始まるという。

西賀茂の船形万灯籠送り火の起源は、山麓にある西方寺の開祖円仁が唐に留学したことにまつわる。留学を終え、帰路暴風雨にあったが南無阿弥陀と唱えて無事帰国できたので、その船をかたどって送り火を始めたと伝わる。

かつては、「い」(市原)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)などの送り火もあったそうな。

送り火は、水や酒の入った丸い盆に送り火を映して飲むと、中風にかからないとか、消し炭を白い紙に包んで水引で結んだものを戸口に吊るすと、疫病除け、盗難除けになるという慣わしがあります。

 

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