京都魔界案内 祇園祭

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今年も7月1日~31日まで京都では祇園祭があり、今年から山鉾巡行が前祭、後祭と2回行われ、また150年ぶりに大船鉾も復活と話題も多く、現在その真っ只中です。
869年、京に未曾有の疫病が流行しました。都人は当時の日本の国の数に当たる66本の鉾を先導させ、祇園社(八坂神社)の神輿を担いで神泉苑へ行き、悪霊退散の御霊会を行った。
これが祇園祭の起こり。

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山鉾巡行はあくまでもオープニングセレモニー。 山鉾巡行が登場したのは南北朝時代で現存する山鉾の中で最も古いのが長刀鉾で、1441年応仁の乱の少し前のこと。

山鉾の目的は、暑い夏に蔓延する疫病を退散させるため、八坂神社の御習神に氏子の暮らす町なかへ降りてもらうべく京の町衆は張りきって趣向を凝らした。それが山鉾という形に表れています。

山鉾の巡行路は神霊の乗った神輿が渡御する道でもあり、先に山鉾が通ることで邪気を祓い道を清める意味が込められているといわれています。
『蘇民将来の子孫』

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山鉾の町衆も神輿の舁き手も祇園祭にたずさわる人なら誰もが榊の枝に「蘇民将来之子孫也」と記された護符を身につけていた。

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八坂神社の御祭神・スサノオノミコトが南海を施した時に手厚くもてなした人物が蘇民将来。

京には蘇民将来・巨旦(こたん)の兄弟がそれぞれ家庭をもち住んでいました。
旅にやつれて乞食同然の格好をしたスサノオノミコトが素性を明かさず、裕福で今でいうセレブな生活をしていた蘇民巨旦に一夜の宿を求めたところ、巨旦は「汚い、そんな姿では我が家が汚れる。出て行け!」とすげなく断り、仕方なくその向かいに住む如何にも貧乏で朽ち果てた家に今度は一夜の宿を求めました。
朽ち果てた家から出てきた主人は、素性もわからない乞食に対して「どうぞ、どうぞ、何もないとこですが、お入りください」と真心をこめてもてなしました。
この貧しい主人は巨旦の兄の蘇民将来で、スサノオノミコトは、その手厚いもてなしに感激し、蘇民将来に「わしはこんな汚い格好してるけど、実はスサノオノミコトや。今から京の町に疫病をばらまく。でもお前らの子孫には今後一切疫病、悪霊がきても害がないように護符をあげるから、これをかかげよ」と。
「蘇民将来之子孫也」と記された茅の輪を腰に下げて難を逃れ、ほどなくして巨旦の家は疫病で絶え、蘇民将来の家は末代まで繁栄したといいます。

この故事こそが祇園祭の原動力となっており、その蘇民将来を祀る神社は八坂神社の西楼門を入った突きあたりに鎮座しています。


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