意拳・于永年老師に聞く⑥

【一般参加者に対し站椿でどのような意念を抱くように促すのか】
站椿における意念はまず二通りに分類できる。
一つは医学的概念で言う「抑制性」、もう一つは「興奮性」だ。
一般的には激しい運動の場合、そこには興奮性の意念のみが含まれ、抑制性の意念は存在しない。そして気功においては抑制性の意念だけが存在し、興奮性の意念は存在しない。しかし、站椿における意念にはこの両方が存在する。
【抑制性と興奮性の意念とは?】
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抑制性とは分かりやすく言うと大脳のリラックスで、「入静」に相当する。この状態では、何かをイメージしようとするのではなく、身体に現れる現象をそのまま感じることを要求する。自分に現れる反応を自然に受け入れることが重要で、無理に呼吸を調整したり意守丹田とか大・小周天などを意識する必要もない。
これに対して興奮性の意念とは、意図的な緊張とリラックス(放鬆)をくり返すなど、自分の筋肉を活動させるよう働きかける意念である。

誤解しないでほしいのは、養生站椿では抑制性意念で、技撃站椿では興奮性意念を抱く、という意味ではない。
そもそも養生站椿と技撃站椿は、外見上の形だけの分類ではない。基本站椿でも別の形(丁八歩の站椿・半禅)でも、その目的が養生か技撃かは意念の持ちよう次第である。後は自分の身体と健康条件によって決めれば良い。

站椿における「形」の練習は工作筋を鍛え、「意」の練習は「休息筋を鍛練する。
そこで站椿では形と意のバランスをとる必要がある。
站椿における形とは、言い換えれば関節の角度である。(木製の人形を手にとって)仮にまっすぐ立っているだけでは脈拍は上昇しないが、膝に角度をつけて姿勢を低くすれば運動量も脈拍も上昇する。

現代の生理学では、人間の運動を随意運動と不随意運動に大別しているが、私は随意運動をさらに第一随意運動と第二随意運動に分類した。
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この分類に基けば、工作筋を使用する運動は第一随意運動で、休息筋を使用する運動は第二随意運動だ。
第一随意運動は誰にでも出来ることだが、第二随意運動は頭を使うため、訓練を経て初めて可能になる。
(ある雑誌の站椿練習者の写真を示して)例えばこの人の站椿を見てどう思うかね?
精神(元気)がない、神気がない、勁もない。「形、意、力、気、神」の五つ、つまり形(姿勢)、意(意念)、力(勁)、気(呼吸)、神(神気、精神状態)などのうち、精神状態が表面に顕れていないし指先を見ても勁が感じられない。
(別の写真を示して)これは姿勢が高すぎて、脚に力が感じられない。私は何もしゃがんで練習しろとは言わない。却って姿勢が低過ぎれば筋肉の持続能力だけを鍛えることとなり、休息筋を鍛えることはできない。つまり第二随意運動を磨くことはできなくなる。膝を曲げる角度には適当な度合いがあり、自分の身体条件に応じて運動量を調整することが重要なのだ。
いずれ形、意、力、神のすべてを備えるように練習しなければならないが、最初は形から入り、少しずつすべての条件を満たしてゆかなければならない。

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*関節を曲げる運動を想定した場合、関節を曲げた上でその状態を維持するために働く筋肉を工作筋と呼ぶ。
その工作筋と同一ヶ所に存在しながらも、この運動に関与しない筋肉を休息筋と呼ぶ。


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