意拳・于永年老師に聞く⑤

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【中国拳学研究会で站椿を学んだ人々は、この療養法をどう捉えていたのか?】
養生功の効果は良好だった。ただ当時は王老師も我々も、站椿功(立禅)の効果を知っていても、その理由をうまく説明することはできなかった。
こうして立っていれば身体に良い効果があると知っているだけで、その因果関係を明らかにできなかったのだ。
後に北京体育学院の学院長となったある体育教師に站椿を見せた所、「これは身体の移動を伴わないから運動とは呼べない」とコメントされたこともある。

しかし私は、病院に勤務して站椿に関する実験を始めた頃、脈拍で運動量を計測する方法を思いついた。
例えば平常70の脈拍数が、站椿を始めると90、100、110と上昇し呼吸数も変化する。そして站椿を止めればどちらも元に戻る。脈拍数が増加する以上、站椿は運動と見なしてもよい。

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こうして見ると運動を二種類に分けることができる。
一つは位置移動を伴い脈拍数が上昇するが、酸素を十分に摂取できないタイプの運動、もう一つは脈拍数は上昇するが呼吸に余裕があり酸素も欠乏しないタイプの運動だ。
脈拍数はかなり増加する一方で酸素を十分に摂取することができるという点に、站椿が養生に結びつく理由がある。また、激しい運動であれば対象は若年層に限定されるが、站椿は年齢を問わず誰でも練習できる。
【気功でよく言われる「意守丹田」について】
「意守丹田」も意識を集中するための一つの方法だが、これを強調し過ぎても良い効果は得られない。站椿では「意守丹田」とは異なる立場を取っている。
例えば気功にはこのように(丹田の前あたりに掌を向けて)立つ形がある。
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気功の場合、この姿勢は「手の位置の高さはどうあれ、病気を治す効果がある」と言う。
しかし、腕の位置が低ければ運動量は小さく、身体に何らかの反応が現れるには時間を要する。しかしこの形(手が腕以上の高さに位置する站椿)ならば、
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意識は自然と手に集中し、時間が経過するに従って雑念も消えていき、いわゆる気感などの反応も比較的早く現れる。この過程を経た上で、抑制性と興奮性の意念による練習に入るのだ。

養生站椿の場合は、例えば熱帯魚の水槽を見たり、ラジオを聴きながら練習しても構わない。これは初期に站椿の精神的負荷を和らげる効果がある。やがて要領を得るに従い、站椿を続けても疲れず、却って気持ちが良くなり、休みたいとは思わない段階に入る。そして具体的には皮膚がしびれたり、手が膨らむように感じたりする感覚が現れ始める。これを日常的な感覚と区別して「新異刺激」と名付けている。この刺激は、運動量が大きいほど早く現れる。
新異刺激は筋肉や関節などを刺激し、神経を通して大脳皮質に伝達される。大脳は站椿状態で身体に現れた刺激(情報)に対する反応が出現する。
「脚が痛いがこのまま続けるかどうか」なども考え始める。ここで站椿を止めてしまえば効果は得られない。
しかし、站椿を維持するうちに思考が集中され、やがて抑制(入静)状態に至ることができる。
1、2週間程站椿を練習するうちに、だるさ、しびれ、膨張、痛みなどの反応は筋肉の小刻みな震動へと転化する。体温の上昇と発汗が始まり、やがて心地よい感覚も現れる。発汗の前後は上述の数種の反応と心地よい感覚との境界であり、生理機能が量の変化から質の変化に至る折り返し点と言える。

次回に続く。

 


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