意拳・于永年老師に聞く④

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【中国拳学研究会の活動】
太廟で活動を始めた当時、研究会で学ぶ人は非常に多かった。早朝から站椿を学ぶ参加者は百人ほどにもなった。
その大半は病人などで、その他本格的に拳術を志す者も居るには居たが少数だった。
主な練習者は、高血圧とか関節炎などの病気を持つ人達だった。病院に通っても治らない程の関節炎で、歩くこともままならなかった患者が、練習を始めて数日で小さな丘を歩いて登れるようになった例を覚えている。

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現在では気功が非常に普及しているが、気功医療の第一人者は王向斎老師だ。
王老師自身は気功とは呼ばなかったが、老師は拳術の方法を医療に用いる体育医療の創始者と言える。
中国拳学研究会は養生を活動の中心とする会であり、格闘術練習の場ではなかった。王老師は高齢になってからは養生医療の研究に専心していたのだ。

王老師が教えたものは、民間の気功とは全く異なっていた。厳密には、47年当時は気功そのものが成立していなかった。
気功が正式に体系化され始めたのは、北載河気功療養院が設立された56年を起点としている。従って中国拳学研究会はその十年も前から養生医療を行なっていたことになる。しかし王老師は自らの養生医療を気功とは呼ばなかったし、他の気功家との付き合いもなかった。

後に気功の大家と目される胡耀貞、秦重三という二人も王向斎老師に学んでいた。彼らも私と同様で、朝から晩まで太廟で学んでいた。彼らのことで一つだけ言わせてもらう。私は日本人は正直だと思っている。
例えば澤井健一氏は、王向斎老師に挑戦して負けたことをきっかけに弟子入りしたことを認めている。しかし胡氏と秦氏は後に記した本の中で気功を「武漢で道士に学んだ」などと述べている。
当時王老師は気功家とは交流せず、この方面ではあまり知られていなかったからだろう。後に郭林気功で有名な郭林も一時期王老師に学んでいた。
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