意拳・于永年老師に聞く②

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前回の続き
王老師がどういう人物だったかについては諸説あるが、私(于永年老師)に言わせると嘘をつかない人だった。
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王老師は他の武術家が教えている内容を見て、「これは真の中国武術ではない」と批判することさえあった。教えている者としては、何代も伝承され、自分自身も学んだものを否定されるのだからたまったもんではない。実際に王老師は言い方が激しいため、人の反感を買うことも多かった。

私(于老師)は王老師が誰かと試合するのを見たことはない。王老師と澤井氏との試合も見ていない。若い頃、中国各地を巡り多くの武術家と交流した王向斎老師も、私(于老師)が学び始めた1944年には五十代後半で、その関心は養生に向いていた。また類稀な達人という評判も定着し、王老師に挑む者もいなかった。
ただ、王老師の表演を二度見たことがある。一度は1947年に北京の武術界が中山公園で開催した交流会での表演だ。
当時の私にはよく分からなかったが、表演を見た人々は王老師の動きは素晴らしいと口々に賞賛していた。

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二度目は1960年、河北省保定の養生協会での表演だった。このときの動作はとても素晴らしかった。しかし王老師は、通常の練習時には激しく動くことは全くなかった。
王老師はとても背が低かったが非常に元気な人だった。背は低いが、歩くのはとても速い人だった。
王老師との推手でこんなことを覚えている。通常、学生同志で推手を練習すれば腕の皮膚が擦れて痛いということはあったが、王老師が相手の場合はまるで釘が腕に当たっているように骨が痛かった。そして一度腕と腕が接触すると、こちらは推すことも退くこともできなくなった。
王老師はまさに達人のレベルにあり、一度腕が接触すれば完全に相手をコントロールすることができたのだ。一般の練習者同志ではそんな状態になることはなかった。
王老師の指導はいつも早朝だった。
私が練習場に着く頃には王老師はすでに練習を始めていた。ただ土曜や日曜で何もすることがない日には、老師の家に夜遊びに行くこともあった。
王老師の教え方は、站椿(立禅)だけだ!習い始めた頃、一日同じ姿勢で立っているだけ。一か月経っても新しいものは何も教わらなかった。一般の練習者は「王向斎は何も教えてくれない」と言い始め、私自身もそんな気がしていた。
王老師は保守的で弟子には何も教えないが、自分の子供には教えているのではないかと思い、王向斎の息子に何か特別なものを習っているかと尋ねたが、彼らも同様で毎日立っているだけだと答えた。
一年経っても十年経ってもやはり同じだ。私の場合は五十年間もこれを練習してきた。
しかし外見は変わらないように見えても、中身は変化しているのだ。
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③へ続く


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